表現って何?

            演技として、人生として、心と身体と感情のバランスを追求した自己表現探求ブログ。 なんて、ぶってみたりすると、かっこいいかな(笑)




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6/2 「情」のある世界を信じる

6/1の日記
今日、選挙ハガキを出す。
結局、出せる数の5分の3がなんとか集まった。

ほんとにみんな選挙だということを知らなかった人が多いらしく、
ギリギリのおととい、昨日だけでも、持ってきてくれる人が何人もいた。


ほんとにありがたいし、一方、これで大丈夫かなあ、とも思うし。


ウチの候補を応援してくれている人たちは、
市民運動に携わっている人が多い。

だから選挙選をどう闘っていくか、という話し合いもユニークなものになっていくし、
中には「選挙選なんか必要ないと思うで」という人もいる。


選挙とは、それまでの議員活動を評価してもらう場であって、
それ以上でも以下でもない、と。
「選挙なんかせんと投票だけしたらええんや」と。


すごく真っ当な意見だと思う。
だけどそれでは新人がもっと通りにくくなるというマイナスもあるけど。


で、僕たちは「それまでの議員活動の評価」で投票しているのか。

一応、選挙に関する本なども読んでみたりするけど、
その中には「最後の二十分間が一番大事だ」と書いてあるものもある。

最後の1分まであきらめずにがんばれっていうことだと思う。


それもよくわかる。
けど、最後までガンバルということは、
それまでの活動を評価してもらうという視点がない。


たとえば今ハヤリの若い候補のガンバリ。

将来を託したい気持ちもわかるし、
他にいないと思ってしまうのも仕方ないかもしれない。
だから若い候補が大量得票で通ることが増えている。


でも一にも二にも「交渉事」の政治の世界に、
なんの経験もない若造が入って何ができると投票者は思っているんだろう。


地方選でたまにみる、その町の外から立候補してくる人とか。

その議員は引越してきたばかりの町をどのくらい愛せるんだろう。


それは、すごくビジネスライクにしかならないのじゃないんだろうか。
そうして、それこそが癒着を生まないシステムだというのだろうか。

僕は「情」のある世界を信じる。
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