表現って何?

            演技として、人生として、心と身体と感情のバランスを追求した自己表現探求ブログ。 なんて、ぶってみたりすると、かっこいいかな(笑)




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6/11 生き抜くヒント(1)

6/11の日記
『それで何が変わりますか、何がわかりますか、と聞かれても、とりあえずやってみろとしか言いようがありません。ただし、身体を動かすことで必ずその人は変わってきます。不況だ何だと言っていますが、それは考えが煮詰まっているからだという面が少なからずあります。身体を動かすことで、確実に脳にも影響があります。そして考え方が変わってくるはずです。』

養老孟司さんの「死の壁」(新潮新書)からの抜粋です。

ここの書かれていることを一所懸命してるんでしょうね、いま、僕は。


『人間を自然として考えてみる。つまり高度なシステムとして人間をとらえてみた場合、それに対しては畏怖の念を持つべきなのです。それは結局、自分を尊重していることにもなるのですから。』

だから自殺もいけないし、殺人もいけない、と。
倫理観としてではない論がとっても新鮮ですよね。

ココロの迷路に迷い込んでいる人に、説得力を持つのかは疑問だけど、

とても大切な考え方じゃないかと、思うのです。

生き死にの問題に留まらず、環境にまで繋がる普遍性を持っていると。


『近代化とは、人間が自分を不変の存在、すなわち情報であると勘違いしたことでもあるのです。』

話は飛躍しますが、最近、名前を変えることに憧れます。
正しくいうと、いくつも持つこと、かな。

坂本龍馬が才谷梅太郎って名を持っていたように。
…ちょっと違うかな(^_^;)


『共同体のルールにかかわることというのは、非成文憲法ですから、それを意識しないことで成り立っています。それをあえて表に出そうとすると厄介が生じます。』

『問題は、さまざまな厄介な部分が存在しているのに、それを踏まえずに明文化することイコール近代化だというような安易な考え方で議論を進めると、どこかで矛盾なりモヤモヤした気持ちが残ってしまうということです。
現代人はともすれば、とにかく明文化すること、言いかえれば意識化することそれ自体が人間のためである、進歩であると考えます。そこには一体どの程度まで意識化することが人間のためになるのか、という観点が抜けているのです。』

『なぜなら、どこまでも患者を助けようとする現代の医療は、突き詰めれば「人間は死なない」という前提でやっているのと変わらないことになるからです。「人は死ぬものだ」という前提を落としてしまっている。すると死について正面から考えるのは難しくなる。』

脳化社会への警鐘。
そして、生き抜くヒント。
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