表現って何?

            演技として、人生として、心と身体と感情のバランスを追求した自己表現探求ブログ。 なんて、ぶってみたりすると、かっこいいかな(笑)




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8/13 花は心の働きによって咲く

8/13の日記
さて今日の世阿弥会(いつから、この名前になったんだ(笑))。

風姿花伝の文字にも使われているように、
そして今さら言うまでもなく世阿弥の演劇論の芯となる言葉は、「花」です。

世阿弥先生はさんざ「花」がどれだけ大事か、ということをあちこちで説いています。


ならば、短絡的な時代に生きている僕たちはすぐに答えを急ぎながら思います。

『「花」はどうやれば手にはいんだよ~』と。


それが風姿花伝の最後の最後に書かれています。

世阿弥曰く
『高度な技術と、深い人生経験をふまえた演者は身につけた真の花が、どうして咲くのか、どうして散るのかといった花の理論を自覚しているから、その人の心のままである。(中略)この理論を真に理解するにはどうしたらよいだろう。(中略)ただ、むやみに理屈っぽく考えないで、実践の上で把握すべきである』

うお~っっっ! 今さら理屈っぽく考えるなって言うな~っっっっ!
ふうふうふう…まったく。なんてどんでん返しだ。

気を取り直して先を読む。

『花とは何かということを知ろうと思うならば、まず美しい花を咲かせる種をしるべきだ。芸術における花というのは、心の働きによって咲くものであり、種は、あらゆる面にわたっての技術というべきである』


…最近聞いた話。

「ハウツーは消費される。原理原則が大事。」

この世阿弥論をハウツーと読むのか、原理原則と読むのか…。

とにかくも技術という種、心という花が必要なことはわかったわけですから、
次は僕らがそれをどう取り入れて行けばいいのかを考えなきゃね。

だめ押しのように、その後に書かれている文言は、
『禅宗の僧慧能のことばに「人間はうまれながらに多くの花を咲かせる種、仏性をそなえているのだ」』。
自分を信じましょう。


実は俺は最後の最後の世阿弥の締めの言葉が好きだったりします。
(機会がある人は読んでみて。明治になるまで秘本としてこの本が世に出なかった訳がわかるかも)

世阿弥の演技者としての覚悟と、能=演ずることへの愛情をすごく感じるのです。

で、勘違いも甚だしいのですが、
「世阿弥の気持ちを、後輩である俺たちが受け取らなければどうすんだ!」
と、なかば本気で思ってたりします。

スタニスラフスキーよりも古い演劇論を持つ日本人として(*^_^*)
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